- 第三十一回
お茶。パート2〜歴史編〜
はい、みなさん。
前回、「お茶。」
ザックリと取り上げてみましたが、どうでしたでしょうか??
そうね、せっかくなので、「お茶。」3回シリーズコラムでいきたいと思います。
というわけで、今回は「お茶。パート2」。
ずばり、”歴史編”です!
テン子さんは日本はお茶の文化だと思ってましたのでね、日本おける”日本茶”の文化はかなり古いものかと思っておりました。
でも、、けっこう、日本人が日本の文化を確立していくと同時進行で、根づいていったみたいです。
まあ、とにかく歴史ね、今回。
やっぱりお茶といえば、ヨーロッパの”紅茶”中国の”ウーロン茶”そして、日本の”緑茶”が、頭に思い浮かぶと思いますが。
でもね、みなさん。
これらのお茶って、実は、中国圏が共通して発祥の地のようです。
しかし、これも、はっきりとした場所の特定はされておらず・・。
中国の雲南省の辺りからインドにかけての地域ということのようですが・・。
とにかくね、起源をたどっていきましょう!!
”お茶”。
そもそも”お茶”というのは、中国で発見されたといわれていますが、いつ頃かご存知ですか?
中国の歴史は古く、中国4000年の歴史ともいわれるとか、いわれないとか・・。
黄河文明、長江文明、遼河文明・・。
中国の大地に古くに栄えたこれらの文明・・。
その歴史の中で、お茶が発見されたのは、紀元前2700年ごろといわれています
そして、ヨーロッパの大航海時代、シルクロードや、遣唐使など様々な形でお茶が運ばれ、日本、ヨーロッパ、アジア諸国、世界中に広まっていきます。
今は、飲み物、嗜みとしてのお茶ですが。
古い昔、お茶というのは、解毒薬としての効能を発揮していたようです。
と、いうのも中国最古の薬物書の中には、お茶も記されていたようで、自らの体に毒を含みそして、薬の効果を試すことをしていた人々の存在があったようです。
もちろん、その方たちは、敬い崇められた存在として、庶民に慕われていたようです。
では、そんな歴史の古いお茶。
いつごろ日本に入ってきて、また、一般民衆に広まったのか・・?
それをね、今から、触れていきたいと思います。
■日本茶の歴史■
〜日本のお茶文化の始まり〜
お茶と、仏教は少なからず関係があるそうです。
この関係は、実は、日本に茶が入ってきたことにもつながりがあるようで・・。
かつて、奈良時代。
7世紀ごろ。
遣唐使たちは、大陸に渡り、中国の文化や仏教など多くの知識を日本に持ち帰りました。
その中でもお茶は、禅の修行に用いられたことから、製法、喫茶法は仏教と関係して、日本に広まっていったのです。
そして、最澄が中国から茶の種を持ち帰り栽培を始めたのが、日本における茶の文化の始まりといわれています。
しかし、この当時は、とても貴重な物として扱われ上流階級の人々だけが口にすることができたようです。
そして、時を経て、鎌倉時代。
再び、中国から日本に茶を持ち帰ったのが栄西禅師。
栄西は、茶の種を佐賀県に撒き、さらに、全国各地に広めていきました。
さらに、栄西は日本で最初に本格的な茶について記した書を書いた人物としても知られています。
〜お茶の文化・茶道〜
栄西が著した「喫茶養生記」はその後の日本の茶文化の発展に大きな影響を与えることになります。
そして、戦国時代に入ると、千利休らによって、お茶の礼式が生まれます。
江戸時代、お茶は一般庶民の間にも広まり、多くの人々に飲まれるようになります。
しかし、お茶が一般的に広まったといっても、まだまだ当時は高価なもので庶民は粗末な煎茶を飲んでいたようです。
そして、明治時代に入ると、茶道として、女性の礼儀作法に取り入れられたり、嗜みとしての茶文化に発展していきます。
これらによって、お茶は日本に広がっていくのです。
・・・というような流れで今日の日本のお茶文化は確立してきたのですが、庶民に飲まれるようになったのは日本の歴史の中じゃ、結構最近なんだなあって思いましたね。
今はもっといろんな種類のお茶があるし、世界中からも入ってくる時代。
テン子さんも紅茶なんてハイカラなものも試してみようかな・・。
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