- 第二十七回
ヴェネツィア−水の都−
パート2:ヴェネツィイアの歴史
「ヴェネツィアとその潟」
1987年「文化遺産」に登録される。
改めまして、テン子です。
えぇ、今回は、ヴェネツィアパート2。
ヴェネツィアの歴史を見ていこうかと思います。
そう、1987年、「ヴェネツィアとその潟」という登録名で文化遺産に登録されます。
ヴェネツィアの街というのは100以上の島々を400の橋でつないでできている。
そして、150以上の運河が走る世界有数の人気観光都市。
現在の観光地になるまでにもいろいろな出来事が起こっていたのです。
ヴェネツィア・・その歴史は今から1500年以上前にさかのぼります。
もともと、ヴェネツィアのある土地というのは湿地帯だったそうです。
当時、ヴェネツィア周辺にはそこを生活の場としている人々がいました。
しかし、5世紀、ゲルマン人のイタリアの侵略から逃れるため、人々はこの湿地帯に逃げ込んだのです。
逃げ込んだこの湿地帯の足場の悪さに、敵方のゲルマン人は追撃することができなかったそうです。
そうして、人々は難を逃れその湿地帯に自分たちの国を築いていきます。
ここからヴェネツィアの歴史が始まるのです。
ゲルマン人の追撃から逃れるため、ヴェネツィアのちにたどり着いた人々は、その湿地帯に大きな丸太の杭を打ち込みます。
そして、人々は、家を建て暮らし始めるのです。
人々は干潟のメリットを守るため干潟を荒らしたり干拓したりすることを禁じ、法をつくります。
697年ヴェネツィアは「ヴェネツィア共和国」としてスタートするのです。
そして、9世紀初め人々はフランク王国からの進撃から逃れるため、現在のヴェネツィア本島へと移動してきます。
また、このころ、貿易都市としてのヴェネツィアが始まります。
その後、ヴェネツィアは周辺都市との交易を行うようになり貿易都市としての勢いを拡大していくのです。
そして、11世紀。
東ローマ帝国の要請で、アドリア海沿岸の海上防衛を担うことになります。
13世紀。
ヴェネツィア艦隊は、第4回十字軍とともに、東ローマ帝国コンスタンティノープルを攻めます。
そしてクレラ島、エウヴォイア島、コルフ島など、エーゲ海の島々を領土としました。
その後、東地中海最強の海軍国家として地位を確立します。
16世紀には、造船兵器製造の一大拠点となるのです。
しかし、ヴェネツィア共和国はナポレオンにより消滅させられます。
その後オーストリアの領土となり、1866年、普墺戦争(プロイセン王国とオーストリア帝国との戦争)のすえ、プロイセン側に敗れます。
そして、プロイセン側の勢力であったイタリアの領土となったのです。
いやぁ。
ね、本当はもっと複雑で入り組んだ歴史をね、たどってきてるんですが・・。
今回は、ダイジェストで、まとめてみました。
歴史大好きな諸君!!
是非ね、ここらへん?中世イタリアあたり?大航海時代なんかも調べてみてはいかがでしょう?
マルコ・ポーロ、ナポレオン、ルネサンス。
福音書、サン・マルコ聖堂。
そのほかにも、ヴェネツィアンガラスなどなど、文化の融合がみられる。
実はね、この回でヴェネツィアシリーズ終わる予定だったんだけど・・。
ヴェネツィア・・大変重大な問題に直面しているようなのです。
「沈みゆく都市、ヴェネツィア」。
我々の生活にも大きく関係している環境問題。
地盤沈下。
次回、「ヴェネツィア:パート3」。
こうご期待!!
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